残したい故郷の風景と、5人のまなざし ― 南吉の記憶を紡ぐ語り部・新美勝彦


残したい故郷の風景と、5人のまなざし

愛知県半田市岩滑(やなべ)は、童話作家・新美南吉が多くの物語を生んだ故郷です。
かつてこの地には、ホタルが舞い、田畑のあぜに彼岸花が咲く、素朴で心豊かな風景が広がっていました。しかし、時代の移ろいとともに、その原風景は少しずつ姿を変えてきました。

それでも今なお、南吉の心が息づくこの場所で、風景や文化を大切に守り、未来へつなごうと静かに歩み続ける人々がいます。
ここから始まるのは、そんな5人それぞれの、小さくてあたたかな「やなべのおはなし。」です。


90年の時を超え、南吉の故郷の記憶を紡ぐ語り部

― 新美勝彦さんが見つめる地域の未来 ―

■プロフィール

新美 勝彦(にいみ かつひこ)
1935年生まれ。新美眼科4代目院長。NPO法人ごんのふるさとネットワーク代表理事。
半田市の街づくりに長年携わり、新美南吉記念館の設立・運営や「ごんぎつねの会」の活動に深く関わる。90歳を迎えた現在も、南吉が愛した地域の風景と人々のつながりを、温かく見守り続けている。


■インタビュー

南吉との縁は、父から、そして地域活動へ

新美眼科の4代目として半田の地に根を下ろした新美勝彦さんが、新美南吉と深く関わるようになった背景には、父の存在があった。京都大学出身でリベラルな考えを持つ医師だった父は、半田に戻ってから、地域の未来を見据えた街づくりに熱心に取り組んでいたという。

なかでも象徴的なのが、当時はまだ広く知られていなかった新美南吉の価値を、いち早く見抜いていたことだ。昭和40年代、社会が大きく変化するなかで、地域では日々の生活再建が優先され、文化活動は後回しにされがちだった。それでも父は、南吉を「地域の宝」として位置づけ、市議会議員らに全集を勧めるなど、地道な働きかけを続けていた。教育委員会や巽聖歌とも連携しながら、南吉文化の“種まき”を進めていたのである。

新美さん自身も、幼い頃から南吉作品に親しみながら育った。大人になってからは名古屋大学や藤田保健衛生大学で勤務し、半田を離れる時期も長かったが、ある日、住吉区の区長就任を突然依頼されたことが、地域活動へ深く関わる転機となった。
「月に一度の会合だけ」と聞いて引き受けたものの、実際にはごみステーション制度の導入期と重なり、住吉区はモデル地区に指定されるなど、想像以上に大きな役割を担うことになったという。

記念館、そして矢勝川での活動

市長と教育長が新美南吉記念館の設立を提唱したことも、新美さんの人生に大きな影響を与えた。強い関心を持っていたわけではなかったが、気づけば事業推進委員会の委員長を務め、地域の声を受け止めながら記念館づくりに関わるようになっていた。

委員長として記念館を支えるなか、中心メンバーが退いた後もその役割を担い続けた。南吉生誕80年の際、「100年までは続けてほしい」と託された言葉は、活動を続ける大きな支えになったという。この間には、当時の天皇皇后両陛下の御来館も実現した。

さらに活動は記念館にとどまらず、矢勝川の環境美化へと広がっていく。彼岸花を植え始めていた小栗大造さんから声をかけられたことをきっかけに、地域側から記念館を支える立場として活動を続けてきた。

その中心となったのが、2013年まで約20年間続いた「ごんぎつねの会」である。年4回発行の広報誌「ごんのかわら版」では、新美さんが冒頭文を担当し、全国の知人に寄稿を依頼するなど情報発信に力を注いだ。記念館のせせらぎで行われたウナギのつかみ取り大会には多くの子どもたちが集い、地域に大きな賑わいをもたらした。

これからの世代へ託す想い

現在、新美南吉記念館は年間5万人以上が訪れる施設となっている。
「南吉の作品の魅力はもちろんですが、この地を訪れたいと思ってくれる人がいることが、何より嬉しいですね」
そう語る新美さんは、南吉文化を受け継ぐ若い世代の存在に、大きな希望を感じている。

南吉生誕100年を節目に、活動はNPO法人「ごんのふるさとネットワーク」へと引き継がれた。
「自分に大きなビジョンがあるわけではありません。だからこそ、若い人たちがこれまでの積み重ねを土台に、新しい感性で続けてほしい」
その言葉には、長年関わってきたからこその静かな願いが込められている。

南吉作品は、岩滑という土地の記憶と深く結びついている。花嫁行列などの情景に象徴される、人と人とのつながりや日々の営みの温かさこそ、守るべき大切な価値だと新美さんは考えている。「童話の森」として残された風景に心強さを感じながら、これからも大切に守られていくことを願っている。

南吉作品への思い、そして若い世代へ

印象に残っている作品について尋ねると、新美さんはこう語る。
「正直に言えば、最初は南吉が嫌いでした。『和太郎さんと牛』の話が、どうしても許せなかったんです」

それでも作品に触れるうち、岩滑弁で交わされる語り口のなかに、人と人とが付き合っていく温かさを感じるようになったという。特に、NHKアナウンサー・松平定知さんによる朗読を聞いたとき、その魅力がいっそう深まった。
「みんなで語り合う場の中に、南吉作品の本当の魅力があると感じました」

最後に、新美さんはこう語ってくれた。
「岩滑は本当に素晴らしい場所です。この風景と人とのつながりを大切にしながら、ぜひ地域に関わってほしい」

90年の時を重ねた今も、その言葉には、故郷への深い愛情と静かな情熱が宿っている。