【知る】ごんぎつねの舞台を知る ー地理学の観点からー

ふるさとの里地・里山の自然から作品を創造した新美南吉。「ごんぎつね」も愛知県半田市のふるさとを舞台に書かれました。

今回は、地理学の観点からごんぎつねのふるさとを紹介します。

お教えいただいたのは新美南吉さんと同郷、愛知県半田市岩滑出身である愛知学院大学准教授の富田啓介さんです。

2021年6月12日新美南吉記念館

童話の森プロジェクトメンバーとのワークショップを開催

ごんぎつねの舞台となった愛知県半田市は名古屋市から南の伸びる知多半島にあります。

知多半島は細かな起伏を持つ丘陵地で一番高いところでも128.5mしかありません。

北は東海層群、南は師崎層群と分かれていて、小河川が形成した小さな平野と川沿いを中心に台地があります。

ごんぎつねの冒頭、中山様のお城があったとされる童話の森は標高が10m-15m程度で、同じく作品の舞台とされる矢勝川の形成した段丘です。

知多半島全体は宅地・農地が多く、森林は1/6程度、知多半島の中央部に位置する半田市北で希少になっています(2009年調べ)。


知多半島本来の植生としては、常緑広葉樹林のシイ・カシなどで、人の燃料として木の利用によりマツやコナラに変わってきました。

童話の森は市街地に断片的に残る貴重な林地となっていて、特に常緑広葉樹林化せず、人が利用した里山としての植生が残っている場所としも希少です。

 

新美南吉記念館と童話の森

新美南吉さんが生まれる23年前(明治23年)のこの場所の測図を見ると矮化マツ(貧弱な松)が目立ちます。

この地域の燃料としてマツが利用され、奥深い森というよりも人に管理された里山だったのでしょう。


新美南吉さんが生きた100年前と今を改めて比較してみます。

童話の森 人が燃料として活用した里山から、燃料として木が使われなくなり、管理されなくなり、強い樹々が勢力を増し、植物の多様性が失われつつあり、元々の常緑広葉樹林になりつつある。また一部外来の植物が増えつつある。

田んぼ まだまだこの地には残るが、いつまで続くか心配も多くある。ただし、機械化されはざかけのある風景や、水路の整備などにより田んぼ脇には当たり前のようにみられた蛍はいなくなってしまい、生き物の多様性もなくなりつつある。

水辺 知多半島に多く存在したため池は年々埋め立てられ、自然の水路はほとんど姿を消しつつある。この場所はその水辺がまだ残る。


里地・里山を守り活かしていくプロジェクト進行中

この新美南吉のふるさとでは、童話の森を起点にこの地の多様性を守る活動が進めれています。

それはふるさとの里地・里山から作品を生み出した新美南吉さんのふるさとだからできること。

その作品と風景を感じにぜひお越しください。

https://goo.gl/maps/2x3Yr6P2RwSDHsSL8