人のつながりが地域を育てる― 森邦弘さんが語る、まちづくりのこれまでとこれから ―
残したい故郷の風景と、5人のまなざし
愛知県半田市岩滑(やなべ)は、童話作家・新美南吉が多くの物語を生んだ故郷です。
かつてこの地には、ホタルが舞い、田畑のあぜに彼岸花が咲く、素朴で心豊かな風景が広がっていました。しかし、時代の移ろいとともに、その原風景は少しずつ姿を変えてきました。
それでも今なお、南吉の心が息づくこの場所で、風景や文化を大切に守り、未来へつなごうと静かに歩み続ける人々がいます。
ここから始まるのは、そんな5人それぞれの、小さくてあたたかな「やなべのおはなし。」です。
■プロフィール
森 邦弘(もり くにひろ)
1942年生まれ。岩滑お助け隊 隊長、岩滑元区長、NPO法人ごんのふるさとネットワーク監事。会社員として全国を飛び回った後、40代から地域活動に深く関わり始める。体育振興会、区の防災活動、お助け隊の立ち上げなど、岩滑の暮らしを支える多くの取り組みを牽引してきた。南吉と直接の接点はないものの、南吉作品が描く“人の営みとつながり”を岩滑の中に見出し、その価値を未来へ繋ぐため精力的に活動している。
■インタビュー
仕事一筋の時代から、地域へ心が向いた瞬間

森邦弘さんが地域へ本格的に関わるようになるまでには、長い時間といくつもの偶然が重なっていた。若い頃はプラスチック関連の商社に勤め、全国を飛び回る日々。福岡・大阪・高松・東京へ次々と新しい案件が舞い込み、自治体との調整や営業に追われる毎日だった。とりわけ「指定ごみ袋制度」が各地で始まった頃には自治体からの相談が急増し、仕事はさらに忙しくなっていったという。
そんな日々の中でも、心のどこかには常に“岩滑”の存在があった。週末に半田へ戻ると、耳に入るのは南吉の話題、矢勝川の出来事、地域のお祭りの様子。
「平成2年頃、小栗大造さんが矢勝川で草を刈っている姿を見たことがあります。同じ場所に毎週のようにいて、本当にすごい人だと感じました。ただ、当時の私は仕事で手一杯で、遠くから眺めることしかできませんでした」。
森さんの生活に転機が訪れたのは40代。スポーツ好きだった森さんは、地域の「体育振興会」へ誘われる形で関わり始めた。当時は岩滑に一般スポーツの横のつながりがほとんどなく、仲間とともに会を立ち上げることになる。
「バレーボールが得意で、やるからには本気で取り組んだ方が面白いと思って」。
気づけば、スポーツを通じて世代を超えた人の輪が広がり、自然と“地域に身を置く”時間が増えていった。この経験が、森さんに「地域の中で動く楽しさ」や「人と関わる温かさ」を気づかせるきっかけになった。
「体育振興会が、地域とのつながりの入口でした」。
区長として学んだ「人が人を支えるまち」の力
60代に入り、仕事を周囲に任せられるようになった頃、榊原幸宏さんから「副区長をやってほしい」と声がかかった。その流れで62歳から67歳まで区長を務めることになり、「地域を運営する」という立場を初めて経験することになった。
「地域のことは若い頃から見てきましたが、実際に自分が運営側に立つと、まったく違う世界が広がっていました」。
特に記憶に残っているのが耐震改修の推進事業だ。岩滑は県のモデル地区に指定され、愛知県庁の職員や名古屋大学の研究者が頻繁に訪れ、夜遅くまで議論が続いた。
「専門家と地域の人が同じテーブルで話す。あんな経験はなかなかありませんでした」。
議論が重ねられるごとに地域が動いていく実感があり、「地域は人が動くことで前へ進む」と強く感じたという。
その頃、岩滑には“小さな助け合いの芽”も育ち始めていた。困りごとがあれば自然と誰かが動く―そんな地域の気質が形となり、「岩滑お助け隊」が発足。約30人の住民が自主的に集まり、高齢者の見守り、日々の困り事の手伝い、行事の支援などを行う仕組みが整っていった。
「岩滑という地域の強みは“人のつながりの太さ”です。お助け隊は、その象徴のような存在だと思います」。
現在も森さんは隊長として、「地域の誰かの役に立てるなら」と軽やかに動き続けている。

南吉との直接の縁はなくても、作品の背景は自身の記憶と重なる
森さん自身は南吉と直接の縁があったわけではない。しかし、南吉作品に描かれる風景には、幼少期に見た岩滑の情景が重なるという。
「昔は家の前を牛が歩いていました。父の兄弟が牛車を曳いて、海まで連れて行ってくれたこともあります。祠の横を流れる水は飲めるほど澄んでいて、田んぼがどこまでも広がっていた。南吉の物語に出てくる風景そのものだと感じます」。
だからこそ森さんにとって南吉作品は、文芸作品というより“当時の暮らしの息づかい”を描いたものに近い。
「特別な話ではなく、人と人のやり取りや、日々の生活の温かさ。それが南吉作品の根本にあると思うんです」。
失われつつある「集まる場」を、もう一度

森さんが現在、最も気にかけているのは「地域に人が集まる場が少なくなっている」ということだ。
「昔は子ども会があって、毎年キャンプに行ったり、運動会がありました。その後の反省会で腹を割って話す中で、人間関係が育っていきました」。
しかし今は、核家族化や生活スタイルの変化によって、地域で自然に集まる場が減りつつある。それでも岩滑には、南吉をきっかけに始まった活動が今も続いている。ヒガンバナの植栽、花のき村などの活動、田んぼアート――
「若い人が一人でも二人でも加わってくれれば、地域は必ず前へ進みます」。
森さんは期待を込めて語る。
若い世代へ伝えたいこと
「岩滑は、本当に人が温かいまちです。かしこまらず、気軽に集まれる場所をつくってほしい。そして、人とのつながりを大切にしてほしい。南吉作品は、そうした暮らしの美しさを教えてくれています」。
穏やかな語り口ながら、その言葉には深い覚悟と愛情がにじむ。森邦弘さんは、地域を静かにつなぎ続ける“縁の人”として、これからも岩滑の未来に寄り添っていく。

