【 新美南吉の言葉と風景 】作品紹介『一年生たちとひよめ』
『一年生たちとひよめ』
学校へいくとちゅうに、大きな池がありました。
一年生たちが、朝そこを通りかかりました。
池の中にはひよめが五六っぱ、黒くうかんでおりました。
それをみると一年生たちは、いつものように声をそろえて、
ひイよめ、
ひよめ、
だんごやアるに
くウぐウれッ、
とうたいました。
するとひよめは頭からぷくりと水のなかにもぐりました。だんごがもらえるのをよろこんでいるようにみえました。
けれど一年生たちは、ひよめにだんごをやりませんでした。学校へゆくのにだんごなどもっている子はありません。
一年生たちは、それから学校にきました。
学校では先生が教えました。
「みなさん、うそをついてはなりません。うそをつくのはたいへんわるいことです。むかしの人は、うそをつくと死んでから赤鬼に、舌べろを釘ぬきでひっこぬかれるといったものです。うそをついてはなりません。さあ、わかった人は手をあげて。」
みんなが手をあげました。みんなよくわかったからであります。
さて学校がおわると、一年生たちはまた池のふちを通りかかったのでありました。
ひよめはやはりおりました。一年生たちのかえりを待っていたかのように、水の上からこちらをみていました。
ひイよめ、
ひよめ、
と一年生たちは、いつものくせでうたいはじめました。
しかし、そのあとをつづけてうたうものはありませんでした。「だんごやるに、くぐれ」とうたったら、それはうそをいったことになります。うそをいってはならない、と今日学校でおそわったばかりではありませんか。
さて、どうしたものでしょう。
このままいってしまうのもざんねんです。そしたらひよめのほうでも、さみしいと思うにちがいありません。
そこでみんなは、こう歌いました。
ひイよめ、
ひよめ、
だんご、やらないけれど、
くウぐウれッ
するとひよめは、やはりいせいよく、くるりと水をくぐったのであります。
これで、わかりました。ひよめはいままで、だんごがほしいから、くぐったのではありません。一年生たちによびかけられるのがうれしいからくぐったのであります。
南吉作品ゆかりの地と撮影場所
作品に関連するゆかりの地と撮影場所をご紹介します。
「一年生たちとひよめ」だけでなく、「子どものすきな神さま」でもひよめ(かいつぶり)は登場します。南吉にとって、ひよめは牛などと並んで親しみのある身近な生き物だったのでしょう。
住吉神社には今も多くの野鳥が飛び交い、宮池越しに赤レンガ建物を眺めると、今でもその水面にひよめの親子が泳ぐ姿を見ることができます。
住吉神社と赤レンガ建物の間の道は、醸造と廻船業で栄え、ミツカンや中埜酒造などが今も残る半田の港と、同じく廻船で繁栄した常滑市の大野地区を結ぶ道路で、その中間に岩滑地区はあります。名古屋方面に向かう人や大野へ向かう人々が南吉の生家が営む下駄屋の前を通って行き来をしました。
宮池のあたりは、生家周辺や常夜燈と同じく、南吉の生きた時代の風景が現在もほのかに感じられる風景となっています。
photo by 吉田 雅彦(知多デザイン事務所)