【新美南吉作品に触れる】今こそ読みたい、南吉の言葉。ー花を埋めるー

今こそ読みたい、南吉の言葉。ー花を埋めるー

 

南吉の生きた時代、日本における死因の第1位は結核でした。

結核は日本だけではなく20世紀初頭には世界中で蔓延しており、かつては「不治の病」として恐れられました。第二次世界大戦中の昭和18(1943)年、新美南吉自身もまた29歳の若さにして、喉頭結核が原因で亡くなっています。4歳の時には母りゑを病で亡くし、自らも「不治の病」に冒され、病と闘いながら、生涯執筆を続けた新美南吉。

いまだ治療法の確立しない新型コロナウイルスの脅威に怯え、「新しい生活様式」を模索する先が見えない現在の私たち。今、新美南吉の言葉を読み返してみると、疫病(あるいは死)からの逃れ得ない苦悩と不安、それに立ち向かう気概や希望といったものが、いっそう伝わってくるように感じました。また、明治から昭和初期の伝統的な日本の暮らしや、ふるさと岩滑地区や半田市周辺を舞台にした作品は日本の原風景としての普遍的な魅力を放っています。

近年、「地方創生」が叫ばれて久しく、土地ごとのもつ暮らしや風土との関わり方を掘り下げていくことの価値も見直されています。そんな今だからこそ、新美南吉の残した童話や詩を読み返すと、その言葉の力が、いっそう輝きを増して響いてきます。

20代の若さで死と向き合いながら精力的に作品を生み出し続けた新美南吉。南吉作品を育んだ“ふるさと”半田を巡りながら、その足跡を辿り、南吉の生涯に思いを馳せ、またこれからのことを考えてみませんか?

新美南吉記念館

「花を埋める」

「花を埋める」は、新美南吉が幼少期に遊んだ生家前の常夜燈(じょうやとう)が物語の舞台となっています。

南吉の作品の中でも非常に美しく、色彩が浮かび上がる一編です。

この1枚では、一握りの花の美を想う気持ちや記憶をイメージしています。

石段には、子どもたちが「草つき」をして遊んだくぼみが残っています。

石段のくぼみを眺めていると、時を隔ててここで遊んだ岩滑の子供たちと繋がったような気持ちになります。

花を埋めるの舞台 岩滑の生家の前の常夜灯
南吉の執筆の記憶
新美南吉の生家
「おじいさんのランプ」の世界観

花を埋める

その遊びにどんな名がついているのか知らない。まだそんな遊びをいまの子どもたちがはたしてするのか、町を歩くとき私は注意してみるがこれまでみたためしがない。あのころつまり私たちがその遊びをしていた当時でさえ、他の子どもたちはそういう遊びを知っていたかどうかもあやしい。いちおう私と同年輩の人にたずねてみたいと思う。
なんだか私たちのあいだにだけあり、後にも先にもないもののような気がする。そう思うことは楽しい。してみると私たちのなかまのたれかが創案したのだが、いったいたれだろう、あんなあわれ深い遊戯をつくり出したのは。
その遊びというのは、ふたりいればできる。ひとりがかくれんぼのおにのように眼をつむって待っている。そのあいだに他のひとりが道ばたや畑にさいているさまざまな花をむしってくる。そして地べたに茶飲茶碗ほどの――いやもっと小さい、さかずきほどの穴をほりその中にとってきた花をいい按配に入れる。それから穴に硝子の破片でふたをし、上に砂をかむせ地面の他の部分とすこしもかわらないようにみせかける。
「ようしか」とおにが催促する、「もうようし」と合図する。するとおにが眼をあけてきてそのあたりをきょろきょろとさがしまわり、ここぞと思うところを指先でなでて、花のかくされた穴をみつけるのである。それだけのことである。
だがその遊びに私たちが持った興味は他の遊びとはちがう。おににかくしおおせて、おにを負かしてしまうということや、おにの方では、早くみつけて早くおにをやめるということなどにはたいして興味はなかった。もっぱら興味の中心はかくされた土中の一握の花の美しさにつながっていた。
砂の上にそっとはわせてゆく指先にこつんとかたいものがあたるとそこに硝子がある。硝子の上の砂をのける。だがほんのすこし。ちょうど人さし指の頭のあたる部分だけ。穴からのぞく。そこには私たちのこのみなれた世界とは全然別の、どこかはるかなくにの、おとぎばなしか夢のような情趣を持った小さな別天地があった。小さな小さな別天地。ところがみているとただ小さいだけではなかった。無辺際に大きな世界がそこに凝縮されている小ささであった。そのゆえにその指さきの世界は私たちをひきつけてやまなかったのである。
いつもその遊びをしたわけではない。それをするのは夕暮が多かった。木にのぼったり、草の上をとびまわったり、はげしい肉体的な遊戯につかれてきて、夕まぐれの青やかな空気のなごやかさに私たちの心も何がなしとけこんでゆくころにそれをした。それをする相手も、たれであってもかまわぬというのではなかった。第一そんな遊びを頭からこのまないなかまもあった。女の子はたいていすきだった。
ふたりいればできると私はいったが、ひとりでもできないことはなかった。私はひとりでよくした。ただひとりのときは自分がふたりになってするだけのことである。つまり花をとってかくしておき、そこからすこしはなれたところへできうべくんば家の角を一つまわったところまで、いっておにになり、眼をとじて百か二百かぞえ、それからさがしに出かけるのである。
だがそれをひとりでするときは心に流れるうらわびしさが、硝子の指先にふれる冷たさや、土のしめっぽい香かおりや、美しい花の色にまでしみて余計さびしくなるのだった。
ふたりか三人でその遊びをしたあと、家へ帰る前に美しい作品を一つ土中にうめておきそのまま帰ることもあった。その夜はときどきうめてきた花のことを思い出し床の中でも思い出してねむるのである。
そんなとき土中のその小さな花のかたまりは私の心の中のたのしい秘密であって、母にもたれにも話さない。つぎの朝いってさがしあててみると、花は土のしめりですこしもしおれずしかし明るい朝の光の中ではやや色あせてみえ私はそれと知らず幻滅を覚えたのであった。また前の晩にうめておいた花のことをつぎの朝、子ども心の気まぐれにわすれてしまうこともあった。そういう花が私たちにわすられたままたくさん土にくちてまじったことだろう。
私たちは家に帰る前に、また、そのとき使った花や葉を全部あつめほんとうに土の中に土をもってうめ、上を足でふんでおくこともあった。遊びのはてにするこの精算は私の心に美しいもの純潔なものをもたらした。子どもでありながらなんといじらしいことをしたものだろう。
ある日の日暮ひぐれどき私たちはこの遊びをしていた。私に豆腐屋の林太郎に織布工場のツル――の三人だった。私たちは三人同い年だった。秋葉の常夜燈の下でしていた。
ツルは女だからさすがに花をうまくあしらい美しいパノラマをつくる、また彼女はそれをつくり私たちにみせるのがすきだった。ではじめのうち林太郎と私のふたりがおにでツルのかくした花をさがしてばかりいた。
私はツルのつくった花の世界のすばらしさにおどろかされた。彼女は花びらを一つずつ用い草の葉や、草の実をたくみに点景した。ときには帯のあいだにはさんでいる小さい巾着から、砂粒ほどの南京玉を出しそれを花びらのあいだに配はいした。まるで花園に星のふったように。そしてまた私はツルがすきだった。
遊びにはおのずから遊びの終わるときがくるものだが、最後にツルと林太郎とふたりで花をかくし私がひとりおにになった。「よし」といわれて私はさがしにいったが、いくらさがしてもみあたらない。「もっと向こうよ、もっと向こうよ」とツルがいうままにそのあたりをなでまわるがどうしてもみあたらない。林太郎はにやにや笑って常夜燈にもたれてみている。林太郎はただツルの花をうずめるのをみていただけに相違ない。「お茶わかしたよ」ととうとう私はかぶとをぬいだ。すれば、ツルの方で意外のところから花のありかを指摘してきしてみせるのが当然なのだがツルはそうしなかった。「そいじゃ明日さがしな」といった。
私は残念でたまらなかったのでまた地びたをはいまわったがついにみつからなかった。でその日は家に帰った。たびたび常夜燈の下の広くもない地びたを眼にうかべた。そのどこかに、ツルがつくったところのこの世のものならぬ美しさをひめた花のパノラマがあることを思った。その花や南京玉の有様が手にとるように閉じた眼にみえた。
朝起きるとすぐ私は常夜燈の下へいってみた。そしてひとりでツルのかくした花をさがした。息をはずませながら。まるで金でもさがすように。だがついにみつからなかった。
それから以後たびたび思い出してはそこへいってさがした。花はもうしおれはてているだろうということはすこしも考えなかった。いつでも眼を閉とじさえすれば、ツルのかくした花や南京玉が、水のしたたる美しさでうす明かりの中にうかぶのであった。たれか他の者にみつけ出されると困こまるので、私はひとりのときにかぎってそこへさがしにいった。
遊び相手がなくてひとりさびしくいるとき、常夜燈の下にツルのかくしたその花があるという思いは私を元気づけた。そこへかけつけ、さがしまわるあいだの希望は何にもかえがたかった。いくらさがしてもみつからない焦燥もさることながら。
ところがある日、私は林太郎にみられてしまった。私が例のように常夜燈の下をすみからすみまでさがしまわっていると、いつのまにきたのか林太郎が常夜燈の石段いしだんにもたれてとうもろこしをたべていた。私は林太郎にみられたと気づいた瞬間ぬすみの現行をおさえられたようにびくっとした。私はとっさのあいだにごまかそうとした。
だが、林太郎は私の心の底までつまり私がツルをすいているということまでみとおしたようににやにやと笑って「まださがいとるのけ、ばかだな」といった。「あれ嘘だっただよ、ツルあ何も埋けやせんだっただ」
私は、ああそうだったのかと思った。心についていたものがのぞかれたように感じて、ほっとした。
それからのち、常夜燈の下は私にはなんの魅力もないものになってしまった。ときどきそこで遊んでいて、ここには何もかくされてはないのだと思うとしらじらしい気持ちになり、美しい花がかくされているのだと思いこんでいた以前のことをなつかしく思うのであった。
林太郎が私に真実を語らなかったら、私にはいつまでも常夜燈の下のかくされた花の思いは楽しいものであったかどうか、それはわからない。
ツルとはその後、同じ村にいながら長いあいだ交渉をたっていたが、私が中学を出たときおりがあって手紙のやりとりをし、あいびきもした。しかし彼女はそれまで私が心の中で育てていたツルとはたいそうちがっていて、普通のおろかな虚栄心の強い女であることがわかり、ひどい幻滅を味わったのは、ツルがかくしたようにみせかけたあの花についての事情と何か似ていてあわれである。


新美南吉のものがたりと風景をつなぐ観光PRキャンペーン

新美南吉のものがたりと風景をつなぐ観光PRキャンペーン「今こそ読みたい、南吉の言葉。」は愛知県観光誘客地域活動事業の一環として実施しています。

各作品はポスターとして、愛知県内の協力書店等に掲示されています。

今こそ読みたい、南吉さんの言葉。

 

撮影 知多デザイン事務所 吉田 雅彦