【知る】対談 南吉文学と知多半島の環境

2021年7月10日、新美南吉記念館遠山光嗣館長と日本福祉大学福田秀志教授とのワークショップより

 

南吉文学とふるさとの自然

(新美南吉記念館遠山光嗣館長のお話より)

新美南吉記念館遠山光嗣館長

 

身近な自然を描いた南吉

愛知県半田市岩滑出身の新美南吉。その作品には、岩滑で身近に見られる生き物が多く登場します。

それは、南吉がふるさとを舞台にお話をかいたから、そこに生きる人々の生活を描いた人だからです。

南吉の生きた大正時代から昭和初期にかけて、人々の暮らし、子供の遊びの中に、今よりもずっと自然が深く関わっていました。

この地を舞台に書いた「ごんぎつね」も例外ではありません。


スパルタノート版「権狐」

教科書で目にするのは昭和7年に「赤い鳥」に発表された「ごん狐(定稿)」。

これは主宰者の鈴木三重吉によって改変されたものです。

昭和6年10月4日にスパルタモノートに書かれた清書前の「権狐」からは、岩滑の地域性が見て取れる

しだ→いささぎ

スパルタノートでは、「いささぎの一ぱい繁った所に、洞を作って、その中に住んでいました。」と書かれているが、

『赤い鳥』には、「しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。」

いささぎというのは、この地域の方言で、一般的には「ヒサカキ」のこと。知多半島の森に多くみられ、新美南吉記念館にある童話の森にもたくさん生えています。

おそらく、方言であるいささぎを一般的なしだに変えたのではないか。森の中にはコシダもたくさん生えていますが、実際狐の住みかを考えると、いささぎの方が住みかに相応しいと思います。


狐の存在

当時は身近な生き物だったでしょうし、当時の民話などを通しても身近だった。

南吉の晩年昭和18年1月には岩滑周辺では見かけなくなってきた。

「鴉根山(半田市の中でも武豊町との境)の方へゆけば、今でも狐がいるそうだから、そっちへゆくさ」(昭和18.1「狐」)と書いている。

戦時中燃料不足で森の木々が切られ、狐が奥深い山に追いやられたのではないかと推測される。

その後、狐が知多半島から消えたのは昭和30年代高度成長期からだと聞いている。

令和3年7月10日童話の森ワークショップより

帰ってきた「ごんぎつね」〜キツネと暮らせる地域を目指して〜

(日本福祉大学 教授・博士、SDGs推進委員会委員長 福田秀志氏のお話より)

日本福祉大学福田秀志教授

 

知多半島は、奥山でなく、里山ばかり。古くから人ともに生きてきた。その特徴は里地にある里山ではなく、海にある里山。大きな川がなく、ため池が多い。

この環境は特異、カワウ、ベンケイガニ、シラタマホシクサ、知多半島の自然を保全するための象徴種として「ごんぎつね」を掲げている。

狐は、この30年・40年間いなかった、それが戻ってきた。そこから「ごんぎつねと住める知多半島を創ろう」が知多半島生態系ネットワークの各地で活動を広げるためのキャッチフレーズとなった。

半田の里山はほとんどコナラかアベマキ。その他、シイ・半田はアラカシ、南知多に行くとウバメガシ

薪になる木を地域ごとに植えた。里山は人の手が入り明るい、ただこのあたりは50年放置されている。

まず育つのはヒサカキ、これは狐にとっては良い環境、隠れ家になる、斜面があってそれが巣穴になりやすい。

どんな森にしたいのか。もともとの里山にしたいのならコナラややくり、アベマキを残す、アラカシは本数ない、ヤブツバキ、あとは全部切る。

そして狐の隠れ家のゾーンを残す。

狐は、昭和30年頃からいなくなった。

ネズミが主食、森のネズミでなく(赤ネズミ、姫ネズミ)捕まえるエネルギーと取れるエネルギーを比較する。

草むらにいるハタネズミなどを食べる。

土地開発や殺鼠剤で死んだネズミの捕食を介して狐も死んだのではないか。犬の病気に影響の可能性もある。

半島の特徴で一旦絶滅すると来るまでに時間がかかる、特に南の森まで行くのが大変それで地域絶滅。

1997年見つかった、常滑、急に森が狭いので見つかった 南で住んでいたのではないか。

1ファミリー1平方キロ、いっぱいになって徐々に北に上ってきた。2011年に権現山で見つかる。その辺りからこのエリアに定住している。

権現山、矢勝川、童話の森とこの周辺をテリトリーにしている。

メスは母親を助ける、オスは新しい家族を探しに行く、11月〜1ヶ月が勝負(春に子供が産まれるように)

そこを逃すと1年なし、

常滑に行く、知多市の七曲公園、東海市の加木屋緑地、阿久比の戻ってくる

阿久比町陸上競技場南北地点、PAのメガソーラをねぐらにしてる。

雨風しのげる、

失われた雑木林などのねぐらの代償

・半田市・阿久比町の里山は約50年間放置されており、 南吉が生きていた時代に比べて、陰樹中心の薄暗い藪になって いる一方で、キツネの隠れ家となる林は増えている。

・在来の陰樹だけでなく、外来種が増えてきており、里山の 植生が変化しつつある。

・権現山周辺では2011年にキツネが発見されて以来、2014年 以降、安定してキツネは生息しており、毎年捕獲やロードキル が確認されている。

・権現山付近のキツネは、阿久比町の「西狐谷」「東狐谷」という「狐」が地名に含まれる場所に巣穴があると思われる。地名があるということは昔から住処にしているのではないか

・権現山付近で生息しているキツネは、発情期まで、権現山、 矢勝川、中山城址付近を行き来している。

童話の世界のようにそのまま活動している

・発情期には、常滑市、知多市、東海市まで移動して、パート ナーを探索するための長距離移動を行う。

・1月以降は、再び阿久比町に定住しつつ、ねぐらとして、 メガソーラーを利用している可能性が高い。

・メガソーラは、もともと、隠れ家となる里山や主食である 草原性のネズミの生息する休耕田などを転用したものである ため、失われた環境の代替として利用してる可能性がある。

・キツネは童話に登場する場所や地名に「狐」を冠した 地域を利用しており、南吉童話の世界が今も息づき、 現代的な暮らしの中で、未来に継承する取り組みが必要。